大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岡山家庭裁判所 昭和39年(少)3011号 決定

少年 O・K子(昭二六・一・二二生)

主文

本件を岡山県玉島児童相談所長に送致する。

岡山県玉島児童相談所長は、少年に対し昭和四一年三月三一日まで、逃走防止設備のある教護院において、その行動の自由を制限する強制的措置をとることができる。

理由

岡山県玉島児童相談所長の本件申請の要旨は、少年は昭和三九年三月二七日当裁判所において教護院送致決定を受け、即日岡山市所在の教護院成徳学校に入所したものの、性病治療のため同市内病院に通院中同年五月二二日無断外泊したまま帰所せず、貨物自動車に便乗し、運転手と性的交渉をもちつつ大阪へ赴き、ついで名古屋、再び大阪、倉敷、広島と各地を一〇数名の異性と性的交渉を続けながら転々とした挙句、同年七月二一日倉敷で保護され、上記教護院に帰所したが、同月二四日再び無断外出し、その後消息不明となつたが、翌八月一三日倉敷市内を徘徊中警察官に保護されるに至つたもので、少年のこのような無軌道な行動、特に性的行為が習慣化している点からして、少年を最早通常の教護院で指導教育することは極めて困難であるから、このうえは任意に出入することのできない設備のある教護院に収容して教育するのを適当と思料し、これが強制措置をとることの許可を求めるというにある。

そこで、調査、審判するに

(行状)

少年は小学校時代は問題はなかつたが、昭和三四年に父母離婚し家庭事情悪化し、以後父親の手で放任的に生育されたためか、中学一年時の昭和三九年一月頃より怠学が始つて、急速に素行が悪化し、翌二月には無断家出して倉敷市内のヤクザの事務所に寝泊りして数名の不良青年と不純異性交遊を続けるようになり、同年三月二七日当裁判所において虞犯保護事件として教護院送致決定を受けるに至つたものであるが、同院入所後の少年の行動は前記申請内容のとおり(詳細は当庁調査官渡辺博己作成の昭和三九年九月五日付少年調査票生活史記載のとおり)であつて、少年の当審判廷での供述によると、教護院生活に別段不満はなかつたが、当初の無断外泊は国鉄岡山駅付近を徘徊中声をかけられた見知らぬ男と旅館に宿泊して売春の対価を得たのを端緒としており、二度目の無断外出の時は倉敷市のヤクザグループを頼つて、不純異性交遊を継続していたもので、逃走中は前後を通じて面識のあるものないものを含め約二〇名の老若男性と常に性的交渉をもつて、宿泊費、飲食費の提供を得、或は売春の対価を得るか、または福山市のバアーで稼働する等して生活していたことが認められ、放縦な生活態度と貞操観念の稀薄あいまつて、その自己の徳性を害する虞犯的非行性は固着性を帯び昂進する一方にあるものとみられる。

(家庭)

父親は精神病の疑があり、昭和三九年三月四日に投身自殺しており、後見的立場にある伯父(亡父の兄)はさきの審判に際しても少年を引取ることを嫌つている状態で、母親は現在倉敷市で仲居生活をしているが素行芳しからぬものがあり、姉一七歳も窃盗、虞犯の非行で同年三月に当庁で不処分決定を受け母親の実家に引取られているような状況で、家庭は崩壊状態にあつて、その母親は少年に対し、本件強制措置を望む態度に出ており、その保護能力は全く期待できず、在宅保護を考慮する余地はない。

(資質)

鑑別の結果によれば、少年の知能は普通級(I・Q・一〇三)であるが、知的活動はやや鈍重であり、異常性欲、性格異常は認められないが、性的羞恥心が極めて乏しく、享楽追求耽溺的な態度が窺われ、その非行性は慢性の感症性非行に移りつつあるものとみられ、このまま放置すれば再非行の危険は勿論心身ともにその人格は荒廃の一途を辿るものと考えられる。

以上の諸点からして、このような性的習癖、放浪癖のある少年を教護し、健全な育成を図るには、これまでの任意に出入りのできる教護院施設では困難且不適当であり、この際少年を外部の悪影響から保護して落着いた環境でかなり長期間心身を安定させて社会的生活適応能力特に徳性の涵養等適切な教化を施すため、少年を強制的措置をとり得る教護院に収容して、その行動の自由を制限する必要があると認め、その期間はこの決定の日から少年が中学教育課程を終了する昭和四一年三月末日までとするのを相当と思料する。

よつて本件許可の申請を相当と認め、少年法第二三条第一項、第一八条第二項、少年審判規則第二三条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 土井仁臣)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例